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zoom RSS 四国八十八カ所巡り  44番 大宝寺

<<   作成日時 : 2013/11/04 22:51   >>

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44番 大宝寺
今の世は大悲のめぐみ菅生山  
ついには弥陀の誓いをぞまつ

【歴史・由来】

四十三番明石寺からの道のりは約80km、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。

四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。

標高四90mの高原にあり、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂う。

縁起は大和朝廷の時代まで遡る。

百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していた。

飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀った。

ときの文武天皇(在位697〜707)はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建された。

弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。

大師堂

仁平2年(1152)、全山を焼失。だが、直後の保元年間(1156〜59)に後白河天皇(在位1155〜58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺とした。

このときに「菅生山」の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどであった。

その後「天正の兵火」で再び焼失、松山藩主の寄進で復興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなったが、さらに明治7年には3度目の全焼、火災との苦闘を宿命にした。

宗 派: 真言宗豊山派
本 尊: 十一面観世音菩薩
開 基: 明神右京・隼人
創 建: 大宝元年(701)
真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所: 〒791-1205
愛媛県浮穴郡久万高原町菅生1173
電 話: 0892-21-0044
駐車場: 普通20台・マイクロバス5台・大型3台
午前7時〜午後5時・無料
宿 坊: あり(150人・要予約)



近くまでクルマで行けますが
駐車場からは
ゆっくり休みながら
20分ほど歩きました。






つづき↓こちら↓
四国八十八カ所巡り 44番 大宝寺

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